唐突の別れ
Hola
昨日、元所属クラブのZaragoza CFの監督が解任された。
リーグは残すところ3試合、降格県内でまさに崖っぷちの中で。
10年以上、記憶が間違ってなければ1部リーグで一番長く指揮をとっていた監督。
前々所属のバレンシアから移籍を考えていた時に、熱心に誘ってくれて直接面識は無い時から本当に良くしてくれた。
バレンシア時代に失っていたものを彼が再び取り戻させてくれた
怪我で途中退団した事は本当に自分の管理不足で申し訳なく思う
またスペインで再会出来るように、直接感謝を伝えれるように頑張ろう。
Muchas gracias a mister por tanto.
日本ではW杯2ヶ月前にハリル監督の解任
サッカー界だけじゃなくてどの世界にいても唐突の別れがある
私もつい最近それを経験した
望む・望まないにしても別れは別れ。
多分別れって自分が思っている以上に経験してて、その時は感情的になっているけど時間が経つと忘れるものだと思う。
そんな中で、頭のどこかに記憶として残るような人になりたい、と思う。
(数多くの失態により、多くの友人の記憶に残っているのは間違いない。そこはもう大丈夫。)
拝啓 手術前・術後間もない自分へ
Hola
拝啓 手術前・術後間もない自分へ
初の下半身麻酔に少しビビっていた手術前。
大丈夫、腰に打つ麻酔は少し変な感じするけど痛くないよ。
手術中は、ヘッドホンしながら音楽聞いてリラックス出来るけど、プレイリストに終始静かめなバラードを入れるのは辞めといた方がよかったよ。なんせ、トントン・ゴリゴリと術中の音が聞こえるからね。
手術が終わって、”あれ案外痛くないじゃん、お腹空いた”と術後の夜ご飯をばくばく食べていたけどその後2~3日痛みで食欲が失せるよ。翌日のお昼に出る美味しそうなビーフカレー、一口も食べれないよ。
術後の膝は腫れていたけど、それは後々注射で血を抜くことになるよ。
声出るくらい痛いから覚悟しといてね。
でも、その痛さを経験すれば出産の痛み意外はなんてこと無いと思うから大丈夫。
リハビリはすぐに始まって、まずは膝に力を入れる、膝を曲げる・伸ばす練習をひたすらやるよ。
ちなみにこれが術後8日目
ふざけてると思うかもしれないけど本当にここまでしか曲がらないよ。
でも大丈夫
少しづつ
曲がるから。
完治するし、また復帰出来る怪我なのは分かっていても
サッカーを出来ないストレスと、色んな感情が入り混じって心が暗くなる時期を迎えるけどそれは時間が経てば無くなるから、落ち込むだけ落ち込めばいいよ。
だんだんと自分がやるべき事が見えてくるから。
"Cuando lleguen las lágrimas aguanta, sufre y...Sigue adelante."
(苦しい時を迎えたら、耐えて、苦しんで…そして前進するんだ)
2018.4.4
Hola
術後1ヶ月が経過。
女子サッカー界では(サッカー界では)(と言うか競技スポーツ全般?)、前十字靭帯断裂はよくある怪我。
よくある怪我なんて言うと捻挫みたいなノリに聞こえるけど、復帰までの期間は長いし状態次第では1シーズン全て無駄にする大怪我。
最近ではイブラヒモビッチ選手(超人にも起こりえます)、斎藤学選手(半年で復帰は凄い)が受傷しいつ誰に起こるか分からないのである。
大学時代、スポーツ障害の研究対象として色んな方が研究していて、よく実験(動作解析の)対象にされていたなぁ。
だから受傷の仕方、典型的な切り方は知っていたから受傷の瞬間すぐ断裂したの分かったなぁ。お手本のような切り方だったなぁ。
そんなこんなで地味なリハビリの日々
何事も地味な事こそ重要なんだ
にしても本当に地味だ。
そうは言いつつも、ストレッチマットを引いて膝と向き合う日々は続いていく
いっその事膝に名前でもつけて愛情をさらに注ごうか。
2018.4.3
Hola
先日、大学の同期と会う。
4月で社会人3年目を迎えるとの事、社会人3年目の自分を想像してみる。
先日、中学の友人と会う。
産休から出産を終え半年、そろそろ仕事復帰したいとの事、母親はいと強し。
先日、古くからの友人と会う。
留学のために資金を貯めているとの事、目標を口に出すって聞いてて気持ちが良い。
先日、先輩と会う。
「東京って空気は汚いし、人は多いし、冷たい。」との事、でも東京は出たく無いと言うからよほど東京には魅力があるのだろう。
いつの日か、内に秘めている事を友人に話してみたら意外な答えが返ってきて気持ちが楽になった。案外、客観的にみた方が物事をシンプルに考えられるのかもしれない。
行き詰った時は客観的に自分を見てみよう
席を譲らない(れない)と言う話
Hola
気がつけば術後1ヶ月を迎えようとしている。
地味なリハビリを続けている。
リハビリをする病院までは電車で行かないといけず、松葉杖で電車に乗る日々
そこでショックを受けた出来事
それは、席を譲る人があまりにもいない事
この1ヶ月間で松葉杖をついて数十回電車に乗る機会があった中で譲られたのはたった3回。1回は杖をついたおばあちゃんに、1回は外国人に、1回はサラリーマンに。
譲ってくれる人が珍しい現象だったから自然とその人の印象が頭に残る。
譲られなかった事への怒りと言う話では無く、すごく虚しい気持ちになったと言う話。
気づいても声をかけられないのか、気づいてるけど知らんぷりなのか、誰かが譲るだろうなのか、気にも留めないのか。
スペインで生活していた時は、怪我している人・お年寄り・妊婦さん・子連れへ席を譲る現象は当たり前に目にしていたし、譲られた事も何度もある。
(その際、どんな怪我なのか、どうして怪我したのかを聞いてくるところはスペイン人だからこそ)
この事で日本がどうこう、スペインがそうこう言うつもりは無い
ただ、二つの国で生活する経験をすると自然と違いに気づく
良いと思った事を吸収しよう
サッカーのピッチ上だけでなく、外でも。
2018.3.27
"ブチッ"
聞いた事あるようで無い音、耳元で鳴ったかの如くはっきりと聞こえた音
同時に膝に激痛、ジーンと血が広がる感覚
ーー2018年1月21日、0.5秒、その一瞬で私の人生は大きく変わる事になるーー
なんて小説風に書いてみました、続きが読みたくなって下にスクロールした方々いらっしゃいませBienvenida。
ここで改めて書く事でも無いけど、この怪我が日本に帰国し手術・リハビリをしていくきっかけになって、そこで思いついたブログ再開なので添える程度に書きました。
2016年3月、卒業式を待たずして渡西し、スペインでのプロサッカー選手生活が始まり、気づけば一息つく間も無く突っ走り、気づけば3ジーズン目を迎えていて、今季は個人的には絶好調。そんな中での大怪我。
「神様が休めって言ってくれたんだ」にしては復帰まで8ヶ月程かかるのでちょっと休み与えすぎだな、って。
そんなこんなで、今月1日に手術が終わり地味なリハビリの日々。
そこで思う、この日々をリハビリ以外に上手く使っていけば8ヶ月後元気な膝プラスαで何か得られているはず、と。それが何であれ8ヶ月も注げるのは何をするにも十分な期間。
そこで思いついた1つ目がこのブログ、スペインサッカー事情から生活、リハビリ、思いついたままに書き綴りたいと思います。